生きるほどに恋をする

遺書であり手紙であり日記です。

2022年2月6日

実は4日前から身動きが取れない状況下におかれていてとても暇をしています。

 

これはいい機会だと思って積読を解消しようと思い、ずっと放置していた漫画を読んだり読まなかったりして過ごしています。

 

僕の人生で一番うつくしい場所神の御名も罪も罰も赦しもないただ一つの場所

君の隣だ

もう他に望むものはないここがあればいい今ここが僕たちだけの世界ならそれでいいこの海に手放せる

ぼくに全てを与え捧げてくれた人 ぼくをくれた人

                                            「遥か遠き家」八田てき


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きっと生きていて、誰かに救われることってあると思うんです。意図せずに救われたり、救ってしまったりその人間の勝手さのことをぼくは信じています。

 

ぼくもたくさん救われて生きてきました。(宗教的な話じゃないからみんな行かないで!!!)

 

 けれど一番切に救ってほしいと願った人はぼくのまえから当たり前のように姿を消しました。

ずっと考えています。救われていたらどうなっていたのだろうって、

でも、救われるっていうのは自立すること、自分の足で立つことと似ている気がするんです。

 

何よりも怖いのが、切に願った対象がぼくのこれからの人生に必要なくなってしまうことだ。

多分これからもこの人生の軸となるものはこのブログのタイトル同様「生きるほどに恋をする」なので

 

 

救われたい、と願いながらも救われないことにどこかで安堵しているこのアンビバレントを抱えながらこれからも生きていくのかもしれないなと思いました。

 

ぼくを救ってぼくと一緒に生きてほしいです。

これが遺書へと昇華したとき何を思ってくれるのでしょう。