生きるほどに恋をする

遺書であり手紙であり日記です。

2022年2月9日

少し前にも「好きな人を産みたい」って言説について書いた気がしますが、更にそれについて思うことがあったのでまた書きたいと思います。

その日のブログも一番下に貼っておきます。

 


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好きな人の幼少期が可愛いことは…かわいいという言葉がここでは適切ではないけれどそれ以上に言葉が見当たらないので今回は可愛いにしておきます。

 

どんな表情で、何を見聞きして育ったか、どのようにして成長していくかその過程を知ることってきっと言葉で言い表せないくらいのことだと思うのです。

 

 

もし仮に、絶対に無理だからぼくはこうして毎日のように泣いているわけですが、死ぬまで一緒にいれたとしたら、死ぬまでの過程は知りながら生きていくことは出来ると思います。

それも素晴らしいし、それがいいな、それになりたい

 

けれど、ぼくのすきなあの人の倫理や性格や、不格好な歩き方の形成はそこではされていないのです。 

新しい何かが形成されることがあっても今までその人を形作った何かを知ることは出来ないのです。

 

「好きな人を産みたい」って言説は中には本当に産みたいと思って使ってる人もいるかもしれないけれど、多分大多数のひとは好きな人が成長していく姿を1から見たかったってことなのではないかとぼくは思います。

 

 

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