生きるほどに恋をする

遺書であり手紙であり日記です。

2022年2月12日

別に死ぬ予定は今のところないですし、病気を患っているわけでも余命宣告されたわけでもないのにたしか自分の遺言をツイートしてくれるサービスがあったなぁ、とふと浮かび検索をかけたらいつの間にか終了していた。

 


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その終了した理由というのがまとめサイトみたいなのに載っていたので少し引用

ダイレクトメッセージの通知に気付かずツイートされて混乱を与える恐れがあること、さらに今後のメンテナンスに自信がなく、その状態でサービスを続けるのは「利用者の方々に不誠実である」と思ったため

 

ぼくは実は一度だけそのサービスに登録したことがあります。

その登録したアカウントは知らぬ間に凍結していて実際に死亡ツイートはされなかったのだけれど、それでもその時はある意味少しだけこのサービスが救いだった。

 

当時は好きな人と繋がっていたSNSをブロックされてしまっていて、Twitterはこっそり特定して知っていたので、その死亡ツイートにその人のアカウントIDを貼り付けるようにカスタムしていたのだ。

 

その時のぼくからしたら例えそれが届くのが死後半年先だったとしても小さな希望以外の何物でもなかったのだ。

 

もし、ぼくと同じようにこのサービスに希望を抱いている人が他にもいたのなら、希望を少しだけ抱いて死んでしまった人がいるのならぼくはサービスを終了してしまったことを許せないなと思いました。

 

許す許さないとかの問題でもないし、きっとぼくは責めるべき立場の人間ではないけれど、

 

あくまでも前向きな理由、や人理的に考えた末の決断なのならそれは紛れもない暴力だし加害以外の何物でもないと思った。

 

もしぼくのこのブログを読んでいる人で死にたいなぁと考えてる人がいたらご連絡ください。

無責任に一度だけ止めたいなと思うので。

そんなことが出来るくらいにはぼくの実践的な倫理観は作用していません。